当日は、心配された天気も持ちこたえ、連日続いた猛暑も一段落の体育祭日和となり、午前中に4校を回りましたが、どの中学校もそれぞれのカラー、校風が有りました。
私たちの年代の運動会は(昭和30年代後半から40年代)、昭和39年(1964年)の東京オリンピックの開会式の日を記念し、体育の日とし国民の祝日にし、母校の白井第二小学校では毎年この日に運動会を行っていました。
奇しくも、8日(日)未明には2020年のオリンピック開催地が東京に決まりました。
東京オリンピックから49年、私は小学校3年生でした。
オリンピック開催を機会に、高価で普及が遅れていたテレビが白井でも普及し始めた年でもありました。
小学校では、確か各学年授業1時間分のオリンピック観戦が許され、視聴覚室(と言ってもテレビしかなかったと思います)で応援した記憶が有ります。
マラソン観戦の時に、担任の先生が2時間以上休まずに走るということは、大変な練習と強い心の持ち主でないとできない。みんなも、2時間以上腕だけでも振り続けられるか。それだけ過酷な競技だと言っていたこと。優勝はエチオピアのアベベで、前大会のローマでははだしで走り優勝し、はだしの王様と言われ、東京でも最有力と思われていましたが、大会4月前の6月に盲腸炎の手術をし、出場が危ぶまれましたが、見事東京ではシューズを履き連勝しました。
そのほかの競技では、100メートル競走の決勝戦でアメリカのボブ・ヘイズが10,0(手動計測)で優勝し、弾丸ヘイズ。女子バレーボールはソビエトとの決勝戦に勝利し、東洋の魔女。
重量挙げの三宅兄弟。マラソンの円谷、君原選手など、などいくつもの記憶がよみがえってきました。
2020年には56年ぶりに東京で再びオリンピックが開催されるという朗報に、早朝から興奮が収まりませんでした。
後7年。7年後の自分は何をしているのか。必ず元気で暮らし、チケットを手に入れ何とか競技場でオリンピック観戦をしたいと今からわくわくしています。
幸い、白井市は東京に近くオリンピック観戦には大変便利な地域ですので、さらなる北総線の利便性の向上、北千葉道路の早期の成田空港への接続と鎌ヶ谷以西から外環(市川インター)への延伸の実現に向けて努力していきたいと思います。
2020年の東京オリンピック。みんなで応援しましょう。
最初に桜台中学校を訪問し、開会式に出席させていただきました。 写真はスローガンである「熱闘!」を予感させる赤白両組代表 による力強い選手宣誓です! 中学生活の心に残る思い出の一つとなるよう祈念します。 |
次に南山中学校の体育祭を訪問しました。 写真は障害物競走の平均台とハードル部分の様子です。 みんな一生懸命課題に挑む姿が感動的でした。 |
次に七次台中学校の大運動会を訪問しました。 写真は学級対抗全員リレーの力走の様子です。 今も昔もリレーは体育祭の花形種目です。 もう少しでバトンタッチです!頑張れ! |
最後に白井中学校の体育祭を訪問しました。 写真はむかで競走 「むかででじぇじぇじぇ」の様子です。 皆で呼吸を合わせて走らねばなりません。 一進一退の好レースに力が入りました。 ひょっとしたらこの日観戦させていただいた各中学校の 生徒の中からオリンピック選手が誕生するかもしれません! |
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