白井市の水道水(桜台地区を除く)を給水している北千葉浄水場などから、発がん性が指摘されシックハウス症候群の原因物質ともされる「ホルムアルデヒド」が検出されたとの一報が、18日(金)夜10時前に市役所に入りました。
これを受け関係課職員(担当部長や市民安全課、上下水道課、管財契約課、秘書広報課担当者など)が市役所に参集し、私もすぐに連絡がありましたので、役所に駆けつけ情報収集や今後の対応、対策について協議をしました。
情報では、基準値を超えるホルムアルデヒドが検出されたため、白井市に給水する北千葉浄水場では既に取水が停止されているとのことで、このまま取水が再開されない場合は、白井市も断水になる可能性があるということでした。
このため、正確な情報収集と市民への情報提供、万一断(減)水した場合の非常用飲料水(ペットボトル)の配布方法、非常用井戸の活用、給水車の手配などを指示し、いったん自宅に戻ったのは、明け方の午前3時近くになっていました。
19日朝6時に受けた報告では取水が再開されているとのことでホッとした矢先、7時30分ころには再び取水が停止されたとのことで市役所にも緊張が走りました。
その後の県からの情報では、13時以降、断水・減水の可能性があるとのことで、市では災害時の第1配備態勢をとり、それまでのホームページの広報に加え、防災無線の放送、広報車の巡回、市民からの問い合わせ専用電話の設置など、まず、情報の提供に努めました。
さらに、15時からは通常ルートと異なる北総浄水場方面から給水を受けるいわゆる「逆送水」をするとのことで赤水の発生可能性があることなどが判明しましたので、ペットボトルのトラックへの積み込みや非常用井戸の準備を行い、万一に備えました。
今回、北千葉浄水場などからの給水が止まり、断水した場合、白井市では約17,300世帯、約45,300人の方の生活に影響が出るところでした。
市民の皆様には、大変ご心配とご迷惑をおかけしましたが、19日(土)17時30分には、北千葉浄水場の取水が再開され、18時には送水が再開しましたので、白井市においては、断水という最悪の事態は避けられました。
このたびの災害では、昨年の東日本大震災に伴う福島原発事故の影響により、浄水場で基準値を超える放射性物質が検出され、市の非常用井戸からの給水、ぺットボトルの配布などの経験が生かされ、断水を想定した準備ができました。
しかしながら、新たな問題点や課題もありました。断水が長引いた場合、飲料水のほかにお風呂やトイレなどの生活用水の対応など。
また、今回のように深夜に災害が起きた時の必要職員の確保、市民に情報を提供するだけでなく、自治会等市民との連携・協力が必要であることなど、いくつかの課題も明らかになりましたので、市では、一連の対応を検証し今後の防災対策に生かしていきたいと考えています。
汚染源など、原因は現在も特定されていませんが、引き続き監視が続けられており、市内の水道水は安全が確認されておりますので、ご安心ください。
水質検査の結果はこちらから(ここをクリックしてください)
なお、万一の事態の備えて、市民の皆様におかれましても、日ごろから食料や水の確保、家族の連絡体制を整えることなどご協力をお願いいたします。
退任の挨拶
平成23年3月11日 午後2時46分、東日本大震災が発生し 白井市でも震度5強という、かつて経験したことのない地震が観測されました。そのとき私は市民経済部長で、自己破産した白井梨ブランデー(株)のブランデーの在庫を処分するため、原酒樽からビン詰めする作業を行っていました。 白井梨ブランデー(株)は、日本中がバブル経済に沸いていた竹下内閣のときのふるさと創生一億円事業を活用して、市の特産である梨を原料にブランデーを製造し 全国に販売することにより白井市の知名度をアップさせるため、第三セクターとして設立されたものでしたが、創業以来赤字が続き、今後も改善の見込みがたたないため横山市長が自己破産を決めたものです。 当時、災害対策担当の部長でもあった私は、地震発生後即座に市役所に駆けつけ、横山市長の指示のもと市民の命を守るとともに、安全対策を最優先に数日間、市役所に泊り込んだことを今でも思い出します。私のこの時の経験や記憶が、その後の市長としての責任の自覚や判断基準になっていると思っています。 東日本大震災があった平成23年当時、市政では北総線の運賃問題への対応など市長と市議会が対立し、市議会では横山市長の不信任決議案を可決し、横山市長は平成23年4月7日に失職しました。これにより、地震による災害対策や福島第一原発からの放射線問題などと併せ、市長の失職による市政の空白が生まれてしまいました。 そこで、私は生まれ育った、愛するふるさと白井を震災被害と政治の不安定から一日も早く正常に戻し、「住んでよかった、いつまでも住み続けたい」と想えるまちを創りたい一心で、市職員を辞し「対立から対話に・ひとつになろう しろい」をスローガンに5月22日投票の市長選挙に立候補することを決意し、皆様の温かいご支援により当選させていただきました。 以来、2期8年間休むことなく、また、怠ることなく市民の皆さんとの約束として掲げた7つの理念の実現に向けて着実に仕事を進めてまいりました。 なかでも阪神淡路大震災や東日本大震災の経験から、市民の命を守ることが第一と考え、小中学校校舎、体育館の耐震化の前倒し、災害に強いまちづくりのために市役所を中心に防災機能を有する総合公園の整備、病院と介護保険施設の誘致、老朽化した給食センターの移設、災害対策本部の設置場所となる市役所庁舎の耐震化を進めました。そして、市役所庁舎の耐震化工事に併せて、庁舎内には白井警察センター(印西警察署分庁舎)の誘致もできました。 また、北総運賃については、公費を使わない学割定期の割引率維持などの実現に御理解をいただいた沿線首長さんを始め、関係者の皆さんに感謝しております。さらに、少子・高齢化の進展により、社会情勢が厳しくなる中で、新たな戦略的視点に立って策定した2025年を最終年とする第5次総合計画や将来を見据え持続可能な行政運営を推進するための行政経営指針のとりまとめ等、次の世代への方向性を探求してきました。市政、まちづくりは継続と安定、そして向上が重要であると常々考えており、そのためには先人が創り残してくれたこの素晴らしい白井をしっかり引き継いで、今必要なことを見極め対応し、次の世代に引き継いでいくということを最優先としてきたところであり、まさに今が自分にとって市長を引き継ぐ最善の時と判断したところです。 この4月14日に告示された市長選挙では、笠井喜久雄氏以外の立候補者がなく無投票で当選が決まりました。 笠井新市長は、長年にわたり市の幹部として私を支えてくれ、同じ志を持ってまちづくりに取り組んでまいりましたので、私以上のご支援を賜りますようお願いいたします。 重ねて、職員として33年、市長として8年、41年の長きにわたりご指導、ご支援いただきました全ての方々に衷心から御礼を申し上げます。 白井市がさらに発展し、「住んでみたい、住んでよかった、住み続けたい」まちになるよう心からお祈りするとともに皆様方のますますのご健勝を祈念申し上げ、退任の挨拶といたします。
令和元年5月21日 白井市長 伊 澤 史 夫
令和元年5月21日 白井市長 伊 澤 史 夫
Interview / 活動報告
ニュース
2012年5月22日火曜日
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