退任の挨拶

平成23年3月11日 午後2時46分、東日本大震災が発生し 白井市でも震度5強という、かつて経験したことのない地震が観測されました。そのとき私は市民経済部長で、自己破産した白井梨ブランデー(株)のブランデーの在庫を処分するため、原酒樽からビン詰めする作業を行っていました。 白井梨ブランデー(株)は、日本中がバブル経済に沸いていた竹下内閣のときのふるさと創生一億円事業を活用して、市の特産である梨を原料にブランデーを製造し 全国に販売することにより白井市の知名度をアップさせるため、第三セクターとして設立されたものでしたが、創業以来赤字が続き、今後も改善の見込みがたたないため横山市長が自己破産を決めたものです。 当時、災害対策担当の部長でもあった私は、地震発生後即座に市役所に駆けつけ、横山市長の指示のもと市民の命を守るとともに、安全対策を最優先に数日間、市役所に泊り込んだことを今でも思い出します。私のこの時の経験や記憶が、その後の市長としての責任の自覚や判断基準になっていると思っています。 東日本大震災があった平成23年当時、市政では北総線の運賃問題への対応など市長と市議会が対立し、市議会では横山市長の不信任決議案を可決し、横山市長は平成23年4月7日に失職しました。これにより、地震による災害対策や福島第一原発からの放射線問題などと併せ、市長の失職による市政の空白が生まれてしまいました。 そこで、私は生まれ育った、愛するふるさと白井を震災被害と政治の不安定から一日も早く正常に戻し、「住んでよかった、いつまでも住み続けたい」と想えるまちを創りたい一心で、市職員を辞し「対立から対話に・ひとつになろう しろい」をスローガンに5月22日投票の市長選挙に立候補することを決意し、皆様の温かいご支援により当選させていただきました。 以来、2期8年間休むことなく、また、怠ることなく市民の皆さんとの約束として掲げた7つの理念の実現に向けて着実に仕事を進めてまいりました。 なかでも阪神淡路大震災や東日本大震災の経験から、市民の命を守ることが第一と考え、小中学校校舎、体育館の耐震化の前倒し、災害に強いまちづくりのために市役所を中心に防災機能を有する総合公園の整備、病院と介護保険施設の誘致、老朽化した給食センターの移設、災害対策本部の設置場所となる市役所庁舎の耐震化を進めました。そして、市役所庁舎の耐震化工事に併せて、庁舎内には白井警察センター(印西警察署分庁舎)の誘致もできました。 また、北総運賃については、公費を使わない学割定期の割引率維持などの実現に御理解をいただいた沿線首長さんを始め、関係者の皆さんに感謝しております。さらに、少子・高齢化の進展により、社会情勢が厳しくなる中で、新たな戦略的視点に立って策定した2025年を最終年とする第5次総合計画や将来を見据え持続可能な行政運営を推進するための行政経営指針のとりまとめ等、次の世代への方向性を探求してきました。市政、まちづくりは継続と安定、そして向上が重要であると常々考えており、そのためには先人が創り残してくれたこの素晴らしい白井をしっかり引き継いで、今必要なことを見極め対応し、次の世代に引き継いでいくということを最優先としてきたところであり、まさに今が自分にとって市長を引き継ぐ最善の時と判断したところです。 この4月14日に告示された市長選挙では、笠井喜久雄氏以外の立候補者がなく無投票で当選が決まりました。 笠井新市長は、長年にわたり市の幹部として私を支えてくれ、同じ志を持ってまちづくりに取り組んでまいりましたので、私以上のご支援を賜りますようお願いいたします。 重ねて、職員として33年、市長として8年、41年の長きにわたりご指導、ご支援いただきました全ての方々に衷心から御礼を申し上げます。 白井市がさらに発展し、「住んでみたい、住んでよかった、住み続けたい」まちになるよう心からお祈りするとともに皆様方のますますのご健勝を祈念申し上げ、退任の挨拶といたします。
令和元年5月21日                          白井市長 伊 澤 史 夫

ニュース

2012年5月11日金曜日

1年を振り返って

昨年5月22日に市長に就任してからもうすぐ1年になります。
この間、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う放射線対策など喫緊の課題に対応するとともに、市民との対話をモットーに皆様の声が生かせるような行政運営に心がけてきました。

放射線対策では原発事故後、国は放射線量の暫定基準値を年間20ミリシーベルト以下(毎時3.8マイクロシーベルト)を示したが、その後年間1ミリシーベルト以下(毎時0.23マイクロシーベルト)の目標数値を示しました。
市においては、国の数値を参考にしながら対応をしてまいりましたが、昨年12月28日に国から「汚染状況重点調査地域」に指定されたことに伴い、市の除染計画を策定しました。
この計画では、特に子どもたちの影響低減策を優先に国の除染基準を上回る市独自の基準を設定し、現在計画的に小中学校や公園、保育園などの公共施設や幼稚園・民有地などの除染を進めています。・・・詳しくは市のホームページをご覧ください。(ここをクリック)
放射線量が比較的高かった第二小学校グラウンドの除染工事の様子です。
工事終了後は、放射線量は大幅に下がり基準値内になっていますので、
安心してください。

食の安全については、市役所において農産物や学校・保育園給食の食材の検査を行い放射性物質の監視を続け、農家の方が安全な農作物を生産でき、消費者の方が安心して食べられる体制を強化してまいります。
また、放射線の空間線量測定器の貸し出しや市民が持ち込む食物の検査も鎌ヶ谷市と共同で行っています。(白井市専用の測定器の納品を待って、6月には市役所で検査ができる予定です。)

印西クリーンセンター次期中間処理施設では、現在の施設の老朽化に伴い平成21年から施設建設の候補地を検討していて、当時の組合構成2市1町2村で候補地を6ヵ所選定し、「次期中間施設整備検討委員会」の検討結果の報告を受け、私が市長に就任した時は現在地と現在地から約500メートル北側の泉・多々羅田地区の2か所に絞られていました。
候補地が2か所とも印西市内にあることから、印西市におけるまちづくりにおける総合的な観点などを参考に、組合管理者(印西市長)・副管理者(白井市長、栄町長)会議で泉・多々羅田地区に決定しました。
これからも、丁寧な説明や情報の提供などを通してご理解いただけるよう努めてまいります。

北総線の運賃問題に関しては、就任直後から北総鉄道(株)、京成電鉄(株)に対して要望活動や、印西市、白井市で構成している「北総鉄道運賃問題対策協議会」で森田知事に要望も行ってきました。
また、協議会で今後の活動方針についても話し合っており高運賃の解消に向けて活動をしてまいります。

市長就任のご挨拶で森田千葉県知事と面会した際、
北総線の運賃問題への支援を要請した時の写真です。

 千葉ニュータウンについては、1966年(昭和41年)に計画が発表され当時は計画人口34万人、計画面積2,912haであったものが、社会・経済状況の変化により縮小を繰り返し、最終の計画人口は14万3,300人、計画面積1,933haと大幅に縮小されました。
計画発表から45年以上が過ぎ、再来年の平成26年3月にはニュータウン事業が収束します。
白井市では当初計画人口105,200人が38,800人。計画面積836haが463haと縮小され、まちづくりにおいて大きな変更を余儀なくされました。
収束まであと2年弱、「北環状線」(市役所前の通りで桜台、印西市に通じる4車線の道路)の早期開通、市役所東側の「総合公園」の完成など、調和のとれた収束に向け県、企業庁、URなど関係機関と協議や要望を行っています。


北環状線の開通に向けて、市でも市役所進入路の
改修など関連工事を進めています。

防災対策としては、子どもたちの安全を優先し、「小中学校の耐震化計画」を1年間前倒しして平成27年度までに終了させます。
また、災害時の防災拠点となる「市役所庁舎の耐震化」については、7月に学識経験者、公募市民などからなる検討会を設置し、多角的に検討いただき提案をいただきましたので、早急に市としての方針を決定し庁舎の耐震化を進めていきます。

市民の皆様の声が行政に生かせるよう、市内6地区で「タウンミーティング」を開催し、すぐ実行できるものは24年度に実行します。今年も8月からタウンミーティングを行いますのでぜひ参加ください。(日程や場所は広報誌等でお知らせします)

昨年10月に開催した白井駅前センターでの「タウンミーティング」
の様子です。たくさんの出席をいただきました。今年度も開催します。
出席をお願いします。
財政の健全化と持続ある行政運営を目指し、本来市が行うべき仕事なのか、改善すべき点はないのか、費用対効果はなどを市民の目で見ていただく「事業仕分」を昨年行いましたが、市の実施計画事業を対象に今年、来年も行いますので市民判定人として参加いただければと思います。

駆け足で1年が過ぎましたが、これからも積極的に情報提供を進め、市の状況や市民の皆様がまちづくりに参加できる機会を広げていきたいと思います。
日本の人口が減少に転じ、高齢化・少子化がさらに進んでいる中、白井市は人口が増え、子どもたちも増えています。そして、首都近郊にありながら緑豊かで、農業、商・工業、ニュータウンなどの都市とが調和した環境にあります。
これからも、皆様と一緒になって「住んでよかった」、「住み続けたい」まちづくりを行ってまいりますので、皆様の声をお聞かせください。

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