江戸時代、今の松戸市から白井市にかけては小金原と呼ばれる原野が広がっていました。
徳川幕府八代将軍徳川吉宗は源頼朝の「富士の牧狩り」に倣い、武士の鍛錬と小金原周辺の猪鹿などの害獣駆除をかねて、享保10年(1725)に小金原で「しし狩り」を行い、これ以降幕府は嘉永2年(1849)まで計4回のしし狩りを行いました。
しし狩りには武士が参加しただけでなく、小金原周辺の村々から大勢の農民が使役されました。
その際、勢子の世話役が幕府から拝領した「色羽織」と「村小旗」が風間家に伝えられています。
この資料が昭和59年に県から有形文化財に指定されたものです。
訓練は、風間氏の協力をはじめ西白井消防署、白井消防署、白井消防団本部、中木戸区消防団の連携により、隣接の竹山から出火したという想定で、実戦さながらの訓練でした。
先人から受け継いだ文化財を大事に管理し、子孫に引き継ぐことは文化の継承であるとともに、現代を生きる人たちの責務でもあります。
寒さ厳しい雪の残る中、訓練に参加された方々、市の文化財審議の皆さん全員に感謝申し上げます。
文化財の前に設置された指揮本部で、所有者や地元の方、
消防関係者の連携のもと、貴重な文化財を守っていただくよう
あいさつさせていただきました。
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まだ、先日の雪が残る中、放水訓練を行う消防署・消防団の
皆さんです。
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