「鮮魚道」と書いて「なまみち」と読みます。
なんとなくイメージがわくと思いますが、江戸時代に銚子で水揚げされた新鮮な魚を江戸に輸送するための道のことです。
はじめは、銚子―利根川―手賀沼(平塚)-冨塚ー松戸―江戸のルートが使われたそうですが、手賀沼と利根川が仕切られた後は、布佐(我孫子市)や発作・亀成・浦部(いずれも印西市)を通るルートが利用されたとのことです。夕刻に銚子を出発すると、翌日の夕刻から夜には、日本橋に届いたそうで、まさに鮮魚が届けられたことになります。
平塚地区には、そのなごりで「船戸(ふなと)」の地名や「滝田家住宅」を見ることができます。
今も白井市の野菜や梨、ぶどうなどが築地市場などに出荷され都民の台所を守っていますが、古く江戸の時代から関わっていたと思うと、やはり白井は「地の利」がいいと今更ながら思います。
郷土資料館において10月16日まで、「江戸のなごりを訪ねて―鮮魚道で栄えた村―」と題した企画展を開催していますので、皆さんもぜひご覧ください。
なんとなくイメージがわくと思いますが、江戸時代に銚子で水揚げされた新鮮な魚を江戸に輸送するための道のことです。
はじめは、銚子―利根川―手賀沼(平塚)-冨塚ー松戸―江戸のルートが使われたそうですが、手賀沼と利根川が仕切られた後は、布佐(我孫子市)や発作・亀成・浦部(いずれも印西市)を通るルートが利用されたとのことです。夕刻に銚子を出発すると、翌日の夕刻から夜には、日本橋に届いたそうで、まさに鮮魚が届けられたことになります。
平塚地区には、そのなごりで「船戸(ふなと)」の地名や「滝田家住宅」を見ることができます。
今も白井市の野菜や梨、ぶどうなどが築地市場などに出荷され都民の台所を守っていますが、古く江戸の時代から関わっていたと思うと、やはり白井は「地の利」がいいと今更ながら思います。
郷土資料館において10月16日まで、「江戸のなごりを訪ねて―鮮魚道で栄えた村―」と題した企画展を開催していますので、皆さんもぜひご覧ください。
*私も企画展を見てきました。
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